阪神岡田彰布監督は大阪市・玉造出身で虎風荘を出てからしばらくは実家の玉造から甲子園球場に通っていたそうです。
お父さんはほぼ毎試合玉造から甲子園球場まで応援に駆けつけてくれたらしく、お父さんの運転で玉造の実家まで通っていたのだとか。
ミナミやキタの繁華街も近いので、お酒を飲みに行くこともしばしば。
そんな岡田監督ですが、実家は今も玉造にあるのでしょうか?
岡田監督実家は玉造にはもうない?母親や父親についても!
岡田監督が昨年取材に答えていましたが、もう玉造の実家はないとのこと。
どうやらお母さんのサカヨさんが87歳と高齢になり、施設に入ったらしく、玉造の家がガラ空きになってしまったので、おそらく実家も売ってしまったのでしょう。
サカヨさんは勇郎さんと若い時に結婚されたようで、岡田監督を21歳の時に生んでいるので、87歳と若いです。
サカヨさんも応援熱心な方で岡田監督がオリックスの監督時代には京セラドーム大阪の主催試合は必ず応援に駆けつけていたほど。
阪神の監督に復帰してからは高齢の為に甲子園に頻繁に応援に来ていないようで、テレビで毎試合岡田監督と阪神を応援していたようですが、今は施設にいるとのこと。
他に、三浦大輔Dena監督の実家のお花屋さんに岡田監督の母サカヨさんはお花を買いに来てたそうで、三浦大輔監督のお父さんがサカヨさんはよく来てくれてたと取材で答えていました。
一方、岡田彰布監督の父親は勇郎さんで大阪・玉造で紙工場を経営しており、阪神タイガースの後援会の偉いさんでもあったようです。
お父さんは阪神のタニマチをしていたようで、村山実さんの引退試合では岡田少年がキャッチボールの相手を務めたり、島倉千代子さんの元旦那さんである藤本勝巳さんの西宮の自宅に遊びに行ったりしていたそうです。
島倉千代子さんはそのことをよく覚えているようで、彰布君も立派になって阪神の監督にまでなるとは・・・と感心しているようです。
草野球では岡田少年がピッチャーで阪神の2軍選手が内野や外野を守っていたほど、岡田監督のお父さんは阪神のタニマチとして有名な方だったようですね。
お父さんが自営業でサラリーマンと違って時間の融通が利くことから、岡田少年もお父さんと一緒に放課後に玉造から甲子園まで通っていたそう。
お父さんの勇郎さんは岡田監督が早稲田に進学した際にも、週末は必ずといっていいほど、東京まで試合を大阪から新幹線に乗って見に来てくれていたみたいです。
残念ながら岡田監督のお父さんは阪神タイガースが1985年に優勝した翌年に亡くなってしまったようです。
岡田彰布の実家や母親、父親まとめ
- 岡田監督の実家は長年玉造にあったが、お母さんのサカヨさんが87歳と高齢になり、施設に入ったことから、売ってしまって今はもうない
- お父さんは大阪・玉造で紙工場を経営しており、阪神の後援会の偉いさんでもあった
- お父さんはタニマチをしていたので、岡田監督は村山実さんとキャッチボールをしたり、島倉千代子さんの元旦那さんである藤本さんの家でティーバッティングをしたりもしていた
- 岡田監督のお母さんは三浦大輔監督の実家のお花屋さんにもよく顔を出していた
以上、阪神岡田監督の実家や両親についてまとめました。
余談ですが、タレントでモデルのアンミカさんが学生時代に実家が鶴橋にあり、玉造で隣の駅で近所だったので、岡田監督が帰省していたタイミングで玉造の実家に家族総出で突然行ったことがありそう。
突然行ったのにも関わらず、岡田監督の両親はすごく丁寧に接してくれて、岡田監督もしゃべりかけてくれてサインもしてくれたそうです。
岡田監督も何となくアンミカさん家族が総出で玉造の実家に来たことを覚えているそうです。